道標 (古さ) 

   都道府県別データ一覧にある紀年銘1689年以前の道標を「古さ」の順に並べたもの (最初は参詣用道標、一般道標は1660年から登場)
     〔従来 道標と間違われていたものは、本来リストに入れるべきではないが、参考までに青字でリストに記載する〕

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 上天野の題目塔道標 かみあまの 和歌山/
(伊都)かつらぎ町
天野峠
(伽藍~慈尊院)
石道標(御影石) 高246㎝,幅30㎝,厚25㎝,上部厚35㎝,下部厚30㎝ 建治2(1276)   木下浩良/WEB(石仏と石塔!) 下部C接合 (左側面)「天野路 法眼泰勝」、(右側面)「建治二年十一月日」、(正面)「(梵字)奉為 前大僧正聖基」/施主:法眼・泰勝/「天野路」は文献上見られない名称で、参詣道研究上でも重要な遺構/建立位置は慈尊院、天野、三谷から高野山へ行き来する辻で、天野路の始点になる「天野辻」であったという説がある/高野山町石が石造化する前(平安時代中後期)にあったとされる木製卒都婆の形状と類似→高野山へ続く神聖な道である天野路へ入る始点である天野辻に、結界としての役割を持つ木製卒都婆が平安時代中後期に同位置に存在し、後に石造化されたと考えられる/慈尊院から伽藍までの高野山町石のある道筋に残る→参詣道の始点が天野辻から慈尊院まで後退していく際に取り残され、現在町石の道筋にあると言われる/建立年が陰刻してあって年代の確定している巡礼用道標としては国内最古 2 写真
写真 西甲の道標 にしこう 福島/
(大沼)会津美里町
<仁王寺> 石道標(安山岩) 高85㎝,幅28㎝,厚23㎝ 弘安10(1287)→道しるべの文字は江戸期の追刻 町史跡 町教委 供養碑を道標に転用した時に街道に移設 「右 大岩道 是より二十六町十五間」「左 谷ヶ地道」/弘安の役(弘安4の蒙古軍の襲来)の戦死者の霊を弔った供養碑→道標化(江戸期) 2
写真 福貴畑の一石一尊十三仏
(弥勒)道標
ふきはた 奈良/(生駒)平群町 (片福貴)<福貴畑~信貴畑奥の院~朝護孫子寺> 石道標(駒型) 高72㎝,幅26㎝ 室町時代?→江戸期?   町教委/平群谷p29 原位置 (正面像下)「右 十三/左 米尾」/頂部に一本線、その下を光背型に削りこみ弥勒菩薩坐像を陽刻/十三仏の一体ずつを刻んだ道標群(5基が現存)/仏身の方が文字よりもやや風化進んでいるようにも見え、一石一尊十三仏を道標に転用した可能性も高い/石仏の専門家の見解によると室町時代頃の築造と推定される 1
写真 信貴畑の一石一尊十三仏
(大日)道標
しぎはた 奈良/(生駒)平群町 (丸尾)福貴畑~信貴畑奥の院~朝護孫子寺 石道標(駒型) 高116㎝,幅25㎝ 室町時代?→江戸期?   町教委/平群谷p29 近接移設?(基部露出)/上部で水平に折損→簡単に修復 (正面像下)「右 十三/左 米尾」/頂部に一本線、その下を光背型に削りこみ大日如来坐像を陽刻/同上 2
写真 福貴畑の一石一尊十三仏
(阿弥陀)道標
ふきはた 奈良/(生駒)平群町 (片福貴)福貴畑~信貴畑奥の院~朝護孫子寺 石道標(駒型) 高81㎝,幅26㎝ 室町時代?→江戸期?   町教委/平群谷p29 移設/3基並んで立つ
〔写真の左端の道標〕
(正面像下)「すぐ 米尾/すぐ 十三」/頂部に一本線、その下を光背型に削りこみ阿弥陀如来坐像を陽刻/同上 2
写真 福貴畑の一石一尊十三仏
(地蔵)道標
ふきはた 奈良/(生駒)平群町 (片福貴)福貴畑~信貴畑奥の院~朝護孫子寺 石道標(駒型) 高94㎝,幅23㎝ 室町時代?→江戸期?   町教委/平群谷p29 移設/3基並んで立つ
〔写真の右端の道標〕
(正面像下)「右 十三/左 米尾」/頂部に一本線、その下を光背型に削りこみ地蔵坐像を陽刻/同上 2
写真 福貴畑の一石一尊十三仏
(観音)道標
ふきはた 奈良/(生駒)平群町 (片福貴)福貴畑~信貴畑奥の院~朝護孫子寺 石道標(駒型) 高61㎝,幅23㎝ 室町時代?→江戸期?   町教委/平群谷p29 移設/3基並んで立つ
〔写真の中央の道標〕
(正面像下)「左 十三/右 米尾」/頂部に一本線、その下を光背型に削りこみ観音菩薩坐像を陽刻/同上 2
写真 田能中畑の供養塔道標 たのう・なかはた 大阪/高槻市 <西国三十三所巡礼道
(善峰寺→穴太寺)>
石道標(石碑型) 高107㎝,幅15㎝,厚29㎝ 宝徳3(1451)   市教委(高槻の道しるべp55)/大阪の街道と道標p251,252/WEB 保存状態良好 (正面上部)「(梵字3字)」、(正面)「三十三所穴太寺九十町」/四角く削った中に内容と「奉読誦大乗妙典一千部/為彼供養石仏立者也」、を陰刻、道標内容下に蓮花台を陽刻/建立年が陰刻してあって年代の確定している巡礼用道標としては国内で2番目に古い〔1番は1276年の上天野の奉為大僧正聖基道標(和歌山)〕 1
  高野山の地蔵道標1 こうやさん 和歌山/(伊都)高野町 (子継峠)<黒河道> 石道標(舟形) 高42㎝,幅20㎝,厚5㎝ 永正9(1512)   木下浩良/県教委/WEB 木造の祠で保護/光背上部欠損 (光背左端)「香舂峠」/施主:金剛峯寺座主・重任/全面に地蔵菩薩立像(錫杖と宝珠)が陽刻/境界を示す「峠」の文字が刻まれている→高野山の入口を示す道標/座主自身が建立していることから黒河道は重要な参詣道だったことを示す/建立年が陰刻してあって年代の確定している巡礼用道標としては国内で3番目に古い〔1番は1276年の上天野の題目塔道標(和歌山)、2番は1451年の田能中畑の供養塔道標(大阪)〕 2
写真 玉川の道標 たまかわ 大阪/大阪市(福島区) (1丁目)<尼崎街道> 石道標 高180㎝,幅28㎝,厚28㎝ 天文元(1532)
→宝暦13(1763)頃道標化
  市教委/WEB/大阪の街道と道標 改訂版p211 天神社(移設)/下部や角に多少の破損 (正面)「右ハ ふぢ名所 春日社」/道標には大きく「天文元壬辰年」と陰刻されているが、この年代の大坂は石山本願寺に関わる戦乱の時代であったため、「藤」の名所を示すような観光目的の道標が建てられていた可能性は低く、周辺が藤の名所「野田の藤」としてより知られるようになった江戸期に石材だけ転用された/建立:山名礒兵衛→春日神社を宝暦13に再建した米屋→道標も同時代の建立 2
写真 主税町の道標 ちから 愛知/名古屋市(東区) 文化のみち二葉館
<清須街道>
石道標(自然石) 高76㎝,幅25㎝,厚13㎝ 慶長9-15(1604-10)?   WEB/馬場慎一 明治末に主税町の山高家の母屋の床下から発見→その後各所を転々→平成18文化のみち二葉館の中庭に移設 (正面)「是ゟ右 江戸道」/尾張藩士普請方・奥村徳義(1793-1862)の『金城温古録』に名古屋開府前の地図が添付され、そこに道標の詳細な記述があり、さらに同人の『松濤棹筆』には道標の絵や文字まで書いてある→しかし、年号は刻字されていない→もし、この道標が「現地解説板」記載通りとすれば全国で4番目に古い道標となる/行き先が「江戸」と刻字してあるため慶長9(1604)以降の建立で、かつ、名古屋遷都工事が始まる慶長15(1610)頃には撤去されたとされる→①最古期の道標で遠くの都市名を刻字したものはないし、②江戸末期の書物に正確な絵が表示されている→著者が武士の家に保管してあった石をそのまま写した可能性が高い→その際、由来もその家の伝承を書いただけ→建立年が正しい蓋然性は低い 2
写真 幸町の庚申塔道標 さいわい 東京/立川市 (4丁目)
<小川道・山口道>
石道標(駒型) 高54㎝,幅28㎝,厚16㎝ 元和5(1619)   立川の野仏をたずねてp117
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約(移設時に“三猿”の陽刻された台石が紛失したと推測される/木覆屋内 (右面左)「右 砂川 五日市」、(左面右)「左 八王子」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)の陽刻/17世紀初頭の道標/建立年が刻字してあって年代の確定している一般道標としては判明している限り国内最古 3
写真 宇治館町の道標1
(宇治岳道の道標)
うじたち
(うじたけ)
三重/伊勢市 <宇治岳道・磯部道> 石道標(自然石、緑泥片岩) 高230㎝,幅100㎝,厚20㎝ 寛永3(1626)   伊勢市の石造遺物p61・91 移設されていたが、現在はほぼ元の位置に再移設 (正面)「(梵字)朝熊岳道」/17世紀の道標 1
  美馬町滝宮の地蔵道標 みま、たきのみや 徳島/美馬市 <撫養街道> 石道標(丸彫)   嘉永5(1628)   歴史の道3p53 現況不明 (台石正面?)「金毘羅/三頭越」/台石上に地蔵坐像の丸彫を載せる/17世紀の道標  
写真 札の辻の道標 ふだのつじ 福岡/柳川市 <柳川藩における街道の起点> 石道標(尖頭角柱) 高約1m 1630年代以降?   市教委/WEB 下部折損/移設、ステンレス棒で囲う (正面)「右 出橋通り」、(右面)「左 瀬高門通り」/柳川藩では1630年代に道標・一里石の整備を始めるので、もし初代の道標が残っているとすれば、この時期まで建立年が遡ることはあり得る(下記の一里石とほぼ同形状)/現在の道標は城下町の町割りに適合している→城下町が今の姿になったのは1790年代(それ以前の絵図はない) 3
写真 細工町の道標 さいく 福岡/柳川市 <瀬高街道・三池街道> 石道標(尖頭角柱) 高100㎝,幅29㎝,厚24㎝ 1630年代以降?   市教委 平成20に再建立 (正面)「左 出橋通り」、(右面)「右 瀬高通り」/以後、同上 2
写真 黒木町土窪の里塚石
(七里)
くろぎ、
つちくぼ
福岡/八女市 <矢部街道> 一里石(道標兼)   1630年代以降?   WEB 移設 (正面)「七里」、(右面)「左 木屋道」/同上/建立年については不明な点が多いので17世紀の道標と言える証拠はない 2
写真 平塚の薬師如来像道標 ひらつか 埼玉/上尾市   石道標(隅丸型) 高126㎝(うち、台石18㎝),幅35.5
㎝,厚22㎝
寛永12(1635)   上尾市史8p88
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/左面に宝暦12(1762)の追刻 (右面)「従是、二者"ん 原市/めうこんじへ、十五丁六間」/頂部を円形に削り込み薬師如来坐像(薬壺、蓮台)を陽刻、その下に「古跡藥師、順禮札所/三拾二番、第一番拝石供養塔」と陰刻/17世紀の道標 2
写真 新宿町の地蔵道標 あらじゅく 栃木/足利市 勢至堂墓地<例幣使街道> 石道標(丸彫) 高219.5㎝(うち、台石53㎝) 正保3(1646)   市教委/県教委
(歴史の道2p13)
移設 (台石正面右端)「右へ たて者やし道」、(同左端)「左へ さの道」/台石上に地蔵立像(蓮台、敷茄子、上段台石)の丸彫を載せる/17世紀の道標(一般道標としては、東京・立川市の「幸町の庚申塔道標」に次いで古い) 2
写真 日永の道標 ひなが 三重/四日市市 日永神社<東海道・伊勢街道> 石道標(花崗岩) 高140㎝,幅28㎝,厚25㎝ 明暦2(1656)   WEB(北伊勢の道標) 下記「追分町の道標」の位置にあった→嘉永2(1849)に現道標が建立→日永神社に移設 (正面)「大神宮 いせおい王け」、(右面)「京」、(左面)「山田」/裏面に
「南無阿弥陀佛」と陰刻/東海道最古の道標/17世紀の道標
2
写真 柏原宿の道標1 かしわばら 長野/(上水内)信濃町 <北国街道・戸隠山道> 石道標(自然石) 高90㎝,幅60㎝,厚37㎝ 明暦3(1657)   町教委/里山風景in信州 下部埋没 (東面)「従是 戸隠山道」/戸隠神社奥社・中社に通じる山道の分岐点立つ 1
写真 野塩の道標 のしお 東京/清瀬市 (1丁目) 石道標 高70㎝,幅24㎝,厚18㎝ 明暦4(1658) or
宝暦4(1754)
  WEB(鎌倉街道上道)
/市博物館
原位置? (正面右)「をんたけだ大古んけん…」(=御嶽□□大権現)、(同左)「御りやくを毛つて馬頭観世音つる也/東門へ」(=御利益をもって馬頭観音建つる也)、(左面)「是ゟ東ハ 西薬師入口」(近くの円福寺薬師堂?)、(裏面下部)「右り 江戸道/向ハ 所沢道/左り のみち」/紀年銘は右面に「…厂四戊(戌)年二月吉日」とあるが、厂が暦だとすれば明暦4、宝暦4とも「戌」を含むので可能性は同程度→清瀬市博物館では、隣接する地蔵菩薩が明暦3の建立で材質が似ている点と、市内の宗教施設の建立が17世紀に集中するので明暦4の建立とみなしている→明暦4の建立とすれば、裏面の標記はこの時期としてはあり得ないような道標標記であり、宝暦4の可能性も十分にあり得ると考える 1
写真 藤原の題目塔道標
(法華題目塔道標)
ふじはら 栃木/日光市 高原峠<会津道・塩原道> 石道標(駒型) 高134㎝,幅42㎝,厚26㎝ 万治3(1660) 市有形民俗 市教委/福島県歴史の道・下野街道p14/街道・宿場の移転と地震 移設 (正面右上)「右 塩原道」、(同左上)「左 會津道」/正面を火灯窓型に削り込み「南無法蓮華経」と陰刻/正面を火灯窓型に削り込み「南無法蓮華経」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“蓮花”の陽刻/元湯千軒と呼ばれた湯本塩原村が大地震による山津波で壊滅した翌年に死者を弔う目的で供養塔を建立(会津道(会津西街道)が不通になり、塩原街道の重要性が増した)/17世紀の道標 2
  高良田の馬頭観音道標 たからだ 茨城/つくば市 (下高良田)研修センター 石道標(駒型) 高140㎝,幅41㎝,厚25㎝ 万治3(1660)   谷田部の石仏p53 移設 「西 こしき」「東 上郷」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻/17世紀の道標 2
  本町の道標 ほん 神奈川/藤沢市 (3丁目) 石道標   万治3(1660)   市教委(藤沢市の石仏p60) 移設→個人宅/下部埋設 (正面)「從是 江之嶋弁才天之道」、(右面)「此左 江能し満へんさいてんみち」、(左面)「是よ里 ゑの志ま扁んさいてん道」/17世紀の道標 4
写真 小深の道標 こぶか 大阪/河内長野市 <河泉街道(大沢峠道)> 石道標(鉤状駒型、花崗岩) 高129㎝,幅52㎝, 厚33㎝ 万治4(1661)   大阪の街道と道標p145/近畿地方の歴史の道1p512,558 保存状態良好 「(梵字)金剛山道」/17世紀の道標 1
写真 深谷町の道標1 ふかや 神奈川/横浜市(戸塚区)   石道標(尖頭角柱) 高67㎝(うち、台石16㎝),幅20㎝,厚13㎝ 寛文年間(1661-73)   戸塚区石造物調査報告書3p31/鎌倉みちこ 移設、集約/正面の題目は意図的に削除 (右面右)「右り、 戸塚道」、(左面左)「左リ 八王子道」/正面に「…」と陰刻/17世紀の道標(建造年代の刻字は不明瞭) 4
写真 大師町の道標1 だいし 神奈川/
川崎市(川崎区)
平間寺<大師道> 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高170㎝,幅52㎝,厚47㎝ 寛文3(1663) 市歴史重要記念物 現地解説板/市教委/川崎の道標p1・31-3 移設
(もと、川崎宿下手の土居)
(正面中央)「從是 弘法大使江之道」、(右面・左面)「こう本"う大し江のみち」/庶民信仰の霊場であった平間寺への参詣路を示す道標(川崎宿で東海道と大師路の岐路にあった)/『東海道分間絵図』(1690)、『駅路の鈴』(1709)、『川崎宿船場町絵図』(1765)にも描かれている/17世紀の道標 2
写真 木幡の題目塔道標
(木幡桜地蔵の供養塔)
きばた 栃木/矢板市   石道標(自然石) 高70㎝,幅46㎝ 寛文4(1664)   WEB(がりつう) 移設(基礎C) (正面最下部右)「右 さくみち/中 やまみち」、(同左)「左 大たはら」/正面中央に「南無阿弥陀佛」と陰刻/17世紀の道標 2
写真 榛原檜牧の供養塔道標 はいばら、
ひのまき
奈良/宇陀市 <伊勢街道> 石道標(自然石) 高106㎝ 寛文4(1664)   WEB 移設→元の位置に再設置 (正面右)「右 伊勢本街道」、(同左)「左 やまみち」/正面中央に「奉供養順禮同行十二人」と陰刻/伊勢信仰の盛んな奈良県で、伊勢への街道を示すので参詣道標の意味合いが強い/17世紀の道標 1
写真 田井の大師道標 たい 徳島/(海部)美波町 石道標(舟型) 寛文4(1664) 松永忠志 放置・転倒(台石喪失) (正面大師台座)「右/遍/ん/ろ/道」/正面台座上に大師座像を陽刻(右手に五鈷杵、左手に数珠)/頭の周囲に梵字と蓮花3組/台座下に鼻高履と水瓶/四国で確認されている道標としては2番目に古い(年代は、干支の「甲辰」も合致しているので間違いはない) 3
写真 藤沢の題目塔道標 ふじさわ 神奈川/藤沢市 (2丁目)白旗神社 石道標(笠付き) 高81㎝,幅31㎝,厚29.5㎝ 寛文5(1665)   市教委(藤沢市の石仏p60)/鎌倉みちこ 移設、集約/刻字がほとんど読めない (正面左下隅)「向 弁才天」、(右面)「此より はちおうしかいどう」(資料による)、(左面)「これより ほしのやかいとう」/正面中央に梵字で名号を陰刻、最下部に“一猿”を陽刻/17世紀の道標 3
写真 舞野町の地蔵道標 まいの 宮崎/延岡市 赤木峠・近傍<日向往還> 石道標 高175㎝,幅30㎝,厚45㎝ 寛文5(1665)   WEB(みさき道人) 原位置 (正面像上中央)「従是 行縢大鳥居迄 壱里二十八町」/正面下半分を火灯窓型に浅く削り込み地蔵立像(光輪、錫杖)を陽刻/17世紀の道標/判明している限り、九州で最古の道標 1
写真 安倉南の題目塔道標
(姥ケ茶屋の道標)
あくらみなみ(ばんが) 兵庫/宝塚市 <有馬街道> 石道標
(駒型、花崗岩)
高84㎝,幅23㎝,厚14㎝ 寛文8(1668) 市歴史資料 現地解説板/WEB/たからづかの道標p18 ほぼ原位置にある木祠内に他の石造物と共に保存 (右面)「右ハ あまかさきみち」、(左面)「左ハ いたミノみち」/正面中央に「南無阿弥陀佛」と陰刻/伊丹の大鹿と尼崎から、小浜に到る三又路に作られた/17世紀の道標(西日本の一般用道標としては、判明している限り最古) 2
写真 東中野の庚申塔道標 ひがしなかの 東京/中野区 氷川神社 石道標
(舟型、安山岩)
高130㎝,幅59㎝,厚28㎝ 寛文9(1669) 区登録有形 中野の庚申塔を歩くp6
/中野区の石造物(神社)p25
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「あらい梅照院道」(追刻の可能性が指摘されている)/光背頂部に“日月”の陽刻、中央に“三猿”の浮彫り/17世紀の道標 2
写真 千僧の題目塔道標1
(北伊丹寛文9年銘道標)
せんぞ 兵庫/伊丹市 (1丁目)伊丹市立博物館<西国街道・池田伊丹道> 石道標 高79㎝,25㎝角 寛文9(1669) 市有形 市教委/WEB(神戸の道しるべ) 下部欠損/館内展示(もと、北伊丹) (正面右)「右 ひやうこ にしのミや」、(同左)「左 あまかさき いたみ」、
(同最下端)「道」/正面中央上部に「南無阿弥陀佛」と陰刻/17世紀の道標
3
写真 伏尾町の題目塔道標
(寛文十年の道標)
ふしお 大阪/池田市 久安寺参道口
<余野街道(摂丹街道)・関明神越道>
石道標(自然石、花崗岩) 高114㎝,幅50㎝,厚32㎝ 寛文10(1670)   市教委(池田を歩くp23)/大阪の街道と道標p52 保存状態良好 「右ハ かめ山道/左ハ 久安寺道」/駒型に陰刻し、その中に文字を陰刻/中央に「(梵字3字)南無阿弥陀仏沸」と陰刻/17世紀の道標 1
写真 東山町の題目塔道標 ひがしやま 大阪/池田市 <余野街道(摂丹街道)> 石道標(自然石) 高58㎝,幅30㎝,厚27㎝ 寛文10(1670)or12(1672)   市教委(池田を歩くp22)/大阪の街道と道標p52/岡田常雄 移設/摩耗が進み判読が難しい (左面中央)「左ハ 久安寺 かめ山みち」、(同右最下部)「右ハ さい所」(在所=東山の村)/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻/17世紀の道標 3
写真 大間野の聖観音像道標 おおまの 埼玉/越谷市 光福寺 石道標(笠付き) 高185㎝,幅43㎝,厚41㎝ 寛文11(1671)   WEB(出羽〔大間野5〕)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/簡易覆屋内 (右面右)「従是西江 ちおんじみち」、(同左最下部)「三里」/右面の中央に蓮の茎と花托の陽刻/正面全面を火灯窓型に削り込み、さらにその上部を光背型に削り込み聖観音立像(蓮台)を陽刻、その下に「奉造立觀世音菩薩百堂結衆/二世安樂處也」と陰刻、最下部枠上に蓮の花の線刻/笠正面に唐破風、立派な宝珠を載せる/17世紀の道標 3
写真 長谷の道標1
(長谷サイノカミ峠
寛永11年の道標)
ながたに 大阪/(豊能)能勢町 才ノ神峠
<能勢街道(銀山街道)>
石道標(自然石、石英閃緑岩) 高82㎝,幅37㎝,厚19㎝ 寛文11(1671) 市有形 WEB/近畿地方の歴史の道2p402/能勢の道しるべp40,41 保存状態良好 「右 ニ春じハ 山道/たにハ 銀山ありま/左ハ いけ田みち」/才ノ神峠は多田銀山や有馬、池田等に通じる峠であり、平安期にはこの辺りの杉材等に使用されていたとされ、8叉路となっている/江戸期に3つ同地に道標が建立されている事からも交通の要衝であった事がわかる/17世紀の道標 1
写真 南鳩ヶ谷の正観音像道標 みなみはとがや 埼玉/川口市 台阿弥陀堂 石道標(舟型) 高116㎝(うち、台石24㎝),
幅35㎝,厚23㎝
寛文12(1672)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約/簡易覆屋内/塔身と台石の石材が異なる→道標でない可能性も (台石正面)「東 そう加道/南 六あミ多"道/西 か王ぐち道/北 者とかや道」/光背正面に正観音立像(手に蓮の花)を陽刻/17世紀の道標
(塔身と台石が同一年代の場合)
2
写真 畑の題目塔道標
(東畑の道標)
はた
(ひがしはた)
大阪/池田市 <西国三十三所巡礼道
(勝尾寺→中山寺)>
石道標(尖頭角柱) 高70㎝,幅18.5㎝,厚17㎝ 寛文12(1672)   市教委(池田を歩くp29)/WEB/大阪の街道と道標p255/岡田常雄 移設? (右面)「右 中山道」、(左面)「 左 佛日寺道」/正面に「南無阿弥陀佛仏」と陰刻/17世紀の道標 2
写真 木部町の題目塔道標
(新町の道標2)
きべ
(しん)
大阪/池田市 <能勢街道・余野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高76㎝,幅24㎝,厚21㎝ 寛文12(1672)   市教委(池田を歩くp13)/能勢地方の旧街道・石造物p46/岡田常雄 移設/風化により、年代判読不能 (正面最下部右)「右ハ 久安寺道」、(同左)「左ハ 銀山道」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻/『能勢地方の旧街道・石造物』の『能勢地方の街道(1991)』の再版部分に「寛文12の銘あり」とされており、『池田を歩く(2004)』には「年号が記されていない」とされているため、年代は風化により判読できなくなったと考えられる/17世紀の道標 3
写真 萱野の道標 かやの 大阪/箕面市 (2丁目)<西国街道> 石道標(尖頭角柱) 高110㎝,幅30㎝,厚30㎝ 寛文12(1672)   大阪の街道と道標p42/WEB(十三) 移設、下部埋設 (正面)「み乃於山 能入…」(=箕面山の入口)、(左面)「従是西 箕面山道」/17世紀の道標 2
写真 加茂の道標 かも 兵庫/川西市 (2丁目) 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高84㎝,21㎝角 寛文12(1672)   WEB(神戸の道しるべ) 原位置? (正面)「右 小濱 三田/左 伊丹 西宮、道」/17世紀の道標 1
  鷹谷の道標 たかだに 三重/(度会)大紀町 <熊野街道の瀬戸峠と左峠道の分岐点> 石道標(自然石) 高54㎝,幅46㎝,厚12㎝ 寛文13(1673)   県石造物調査報告1
p64
一時、大宮町郷土資料館に移設→ほぼ原位置に戻す 「右 山みち/左 くまの」/建立: 山田之住 西求=現・伊勢市の人物/17世紀の道標 2
写真 川原の供養塔道標 かわはら 奈良/(高市)明日香村 川原寺・南西 石道標(自然石、石英閃緑岩) 高69㎝,幅63㎝,厚30㎝ 寛文13(1673)   村教委(飛鳥の道標p11) 原位置/刻字がかなり磨耗 (正面右)「右 おかみち」、(同左)「左 はセみち」/正面中央に「(梵字)西國卅三番供養」と陰刻/17世紀の道標 1
写真 西六郷の道標
(古川薬師道道標)
にしろくごう 東京/大田区 安養寺
<東海道・多摩川道>
石道標(尖頭角柱) 高188㎝,幅36㎝,厚28㎝ 延宝2(1674) 区有形 WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会)
/史誌12p81
移設 (正面)「(梵字)古川 薬師如來江之道」、(右面)「是より ふる川屋くし江のみち」、(左面)「これよ里 ふ類かわやくしへ乃ミち」/17世紀の道標 2
写真 吉田町の題目塔道標 よしだ 神奈川/横浜市(戸塚区) 妙秀寺<東海道> 石道標(尖頭角柱?) 高124㎝,幅32㎝,厚29㎝ 延宝2(1674)   戸塚区石造物調査報告書p54/鎌倉みちこ 移設/中央で折損→修復/裏面上部剥離→刻字喪失 (裏面)「□□くらみち」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻/17世紀の道標 3
  粉河の題目塔道標 こかわ 和歌山/紀の川市   石道標(駒型、花崗岩) 高145㎝,幅32.5㎝,厚24.5㎝ 延宝2(1674)   近畿地方の歴史の道3p217 棟部は後降り (正面)「みき うしたきミち/ひさり やま見ち」/正面上部に「南無薬師如来」と刻まれている/17世紀の道標 1
写真 千僧の題目塔道標2
(荒牧延宝2年銘道標)
あらまき 兵庫/伊丹市 (1丁目)伊丹市立博物館
<中山道>
石道標(駒型) 高91㎝,30㎝角 延宝2(1674)   絲海「市内の古式道標」/WEB(神戸の道しるべ) 館内展示(もと、荒牧) (正面右下)「右ハ たんばみち」、(同左下)「左ハ ゆの山みち」(=有馬温泉)/正面中央上部に「南無阿弥陀佛」と陰刻/17世紀の道標 3
写真 蔀屋本町の道標 しとみやほん 大阪/四條畷市 <清滝街道(奈良街道清滝越え)・守口街道> 石道標(自然石) 高80㎝,幅65㎝,厚30㎝ 延宝3(1675)   市教委(石造物調査報告書第一次p10,11)/大阪の街道と道標p83 下部の一部が埋没 これより東 清瀧/やハ多みちすじ」(青字は、現地解説版による)/清滝街道の起点/17世紀の道標 2
写真 横手の庚申塔道標 よこて 埼玉/日高市   石道標(笠付き) 高141㎝(うち、台石22㎝),幅36㎝,厚29.5㎝ 延宝4(1676)   WEB(鎌倉街道上道)
/秩父甲州往還p59
移設 (正面右端枠上)「是より左 こま道」、(同右端枠上)「是より右 中山道」(?)/正面を火灯窓型に浅く削り込み、中央に「(梵字)奉待庚申供養現世安□□□□□」と陰刻、最下部に“三猿”の陽刻/笠正面に唐破風/17世紀の道標 2
写真 城南の不動明王像道標
(四谷不動)
じょうなん 神奈川/藤沢市 四ツ谷辻<東海道・大山道> 石道標(丸彫)   延宝4(1676)   現地解説板/市教委 近接移設/木祠内/不動明王像が後補の可能性も (正面像下)「大山道」、(右面・左面)「こ連よ里 大山みち」/頂部に不動明王の半跏坐像(一面二臂、剣と羂索、木製の迦楼羅焔)を載せる/現在判明している限りでは、現存する国内最古の大山道標/17世紀の道標 1
写真 蒲生の聖観音像道標 がもう 埼玉/越谷市 蒲生愛宕町第二会館 石道標 高139㎝(うち、台石95㎝),幅37㎝,厚31㎝ 延宝5(1677)   WEB(蒲生〔蒲生11〕)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (台石正面)「これより ぢおんじミち/四里」/台石上に光背付き聖観音坐像(蓮台)を載せる→この像は寛保4(1744)のもの→置いた時期は不明(評価に観音像の存在は含めていない)/17世紀の道標 2
写真 千駄ヶ谷の庚申塔道標 せんだがや 東京/渋谷区 聖輪寺 石道標(尖頭角柱) 高101㎝,幅36㎝,厚30㎝ 延宝5(1677)   WEB 移設?/上部の隅角部が複数個所欠損(量は僅か) (右面左端)「是より 多聞院迄 十七丁」/右面中央に「弘法/大師、阿波國切幡寺之移」と陰刻/正面中央に“三猿”の陽刻→「三猿庚申」と通称、正面頂部に“日月”の線刻/17世紀の道標 2
  宍原の題目塔道標1
(身延道道標)
ししはら 静岡/静岡市(清水区) (森坂)長峯三里・登り口 石道標(尖頭角柱) 高90㎝,18㎝角 延宝5(1677)   清水市石造文化財調査p31 原位置? (正面左)「これよりひだり みのぶみち」/正面中央に「南無妙法蓮華経」と陰刻/17世紀の道標/大手口・江戸屋五郎兵衛、今橋・銭屋次郎兵衛の建立 1
  興津中町の題目塔道標
(身延道道標)
おきつなか 静岡/静岡市(清水区) 身延道・興津入口
<東海道・身延道>
石道標(尖頭角柱) 高87㎝,18㎝角 延宝5(1677)   清水市石造文化財調査p113 原位置? (正面右)「みのぶみち」、(同左)「これよ里 みぎ」/正面中央に「南無妙法蓮華経」と陰刻/17世紀の道標/大手口・江戸屋五郎兵衛、今橋・銭屋次郎兵衛の建立 1
  但沼町の題目塔道標
(身延道道標)
ただぬま 静岡/静岡市(清水区) (石原)東寿院 石道標(尖頭角柱) 高80㎝,18㎝角 延宝5(1677) 市地域登録 清水市石造文化財調査p50 移設? (正面右)「みのぶみち」、(同左)「これより ひだ里」/正面中央に「南無妙法蓮華経」と陰刻/17世紀の道標/大手口・江戸屋五郎兵衛、今橋・銭屋次郎兵衛の建立 2
写真 飾東町豊国の廻国塔道標 しきとう、
とよくに
兵庫/姫路市 <西国三十三所巡礼道・但馬道> 石道標
(駒型、凝灰岩)
高約120㎝ 延宝5(1677) 市歴史資料 市教委(文化財見学シリーズ4)/WEB(的形道標クラブ) 原位置 (右面)「(梵字)これより右ハ 志よしやミち」/正面に「(梵字)奉納西国卅三所順礼成就攸」と陰刻(「國」「禮」を用いないのは稀)/17世紀の道標/下記「飾東町豊国の聖観音像道標」と並ぶ 1
  西上秋間の題目塔道標
(恵宝沢の道標)
にしかみあきま 群馬/安中市 (恵宝沢)<榛名・妙義街道> 石道標(自然石) 高120㎝,幅45㎝ 延宝6(1678) 県重文 上州の近世石造物1p277/WEB 移設/中央で水平に折損→修復/金網で四周を囲む (正面右)「これよりきた 者るなみちなり」、(同左)「これよりみなみ みやうぎみち」/正面中央に「(梵字)南無阿弥陀佛」と陰刻/県内最古の道標/17世紀の道標 3
写真 五軒町の道標
(三条白川橋の道標)
ごけん 京都/京都市(東山区) (三条通白川橋東入五軒町)<中山道> 石道標 高157㎝,幅27㎝,厚24㎝ 延宝6(1678) 市史跡 市教委/WEB 中央で水平に折損→修復 (正面)「三条通白川橋」、(左面)「是ゟひ多"り/ち於んゐん ぎおん きよ水みち」/17世紀の道標(京都最古) 3
写真 亀戸の題目塔道標
(六阿弥陀道道標)
かめいど 東京/江東区 常光寺 石道標(駒型) 高145㎝,
幅45㎝,厚25㎝
延宝7(1679) 区有形民俗 WEB 移設 (左面)「自是右 六阿弥陀道」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻/17世紀の道標 2
写真 仁杉の道標1 ひとすぎ 静岡/御殿場市   石道標 高99㎝(うち、台石15㎝),26㎝角 延宝7(1679)   市教委 移設、集約 「是より右ハ す者しり/是より左ハ いんの道」(=須走)/頂部を円頭突起状に加工/17世紀の道標 2
  下津町小畑の供養塔道標 しもつちょうこばた 和歌山/海南市 <熊野街道> 石道標(棟形角柱、砂岩) 高85.5㎝,幅22㎝,厚18㎝ 延宝7(1679)   近畿地方の歴史の道3p76   (右側面)「これよりきみいてらへ三り」/正面に「南無大慈大悲観音菩薩」と刻まれている/左側面に「奉納四国卅三所為、濱中同行十八人/二世安楽也」と刻まれている/17世紀の道標 1
  下粕尾の道標 しもかすお 栃木/鹿沼市 大越路、永野・入口 石道標(自然石) 高110㎝ 延宝8(1680)   市教委(粟野の野佛p36) 原位置? (正面)「是より いつる山へ行道」/17世紀の道標 1
  今市の庚申塔道標 いまいち 栃木/日光市 大谷向公民館・裏 石道標(尖頭角柱) 高122㎝,36㎝角 延宝8(1680)   WEB(がりつう) 移設 (右面)「右 白川みち」、(左面)「左 あい津みち」/正面に「奉建立庚申供養功徳樹」と陰刻、頂部に“日月”、そのすぐ下に“二猿”の陽刻/17世紀の道標 2
写真 吾妻の庚申塔道標 あづま 千葉/木更津市 吾妻神社 石道標
(宝珠、笠付き)
  延宝8(1680)   金田増補p48-49木更津5/WEB(加来_木02) 境内に集約 (正面右)「従是 東者」、(正面左)「江戸かいどう」/正面を光背型に削り込み、上部に「奉供養新庚申」と陰刻、右左に上記の道しるべ、下部に三猿の1つ“言わざる”を陽刻/削り込み部のすぐ上に“日月”を陰刻/右面に“見ざる”、左面に“聞かざる”を陽刻/県下で2番目に古い道標 3
  滝野川の庚申塔道標
たきのがわ 東京/北区 金剛寺 石道標
(駒型?、玄武岩)
高102㎝,幅47㎝,厚26㎝ 延宝8(1680)   区・文化財研究紀要別冊10p119 移設/石の外縁部がかなり欠損 (正面中央)「右/岩屋辨財天道」/正面右側に「…待庚申羪禅門」と陰刻/現在は「延宝…」としか判読できないが、資料によれば「延宝八庚申天」とある/17世紀の道標 3
  柏尾町の庚申塔道標 かしお 神奈川/
横浜市(戸塚区)
<東海道・大山道> 石道標(笠付き) 高204㎝(うち、台石20㎝),幅40㎝,厚38㎝ 延宝8(1680)   戸塚区石造物調査報告書2p5/WEB 移設、集約 (裏面)「右江 大山道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、一猿)を陽刻(右面と左面下部に“一猿”を陽刻)/笠正面に唐破風/17世紀の道標 2
  串橋の庚申塔道標 くしはし 神奈川/伊勢原市   石道標(笠付き) 高200.5㎝ 延宝3(1680)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p114) 移設 (左面右下)「左 金目道」/正面に「奉造立庚申供養」と陰刻/正面・右面・左面最下部に“一猿”の陽刻/笠の上に宝珠を載せる/17世紀の道標 2
写真 杉谷の道標1 すぎたに 三重/(三重)菰野町 <尾高観音道> 石道標 高81㎝,幅23㎝,厚18㎝ 延宝8(1680)   WEB(北伊勢の道標) 移設? (正面)「尾高觀音道 自是 十二町上」/17世紀の道標 2
写真 草津の廻国塔道標
(旧追分道標)
くさつ 滋賀/草津市 (4丁目)立木神社
<東海道・中山道?>
石道標 高179㎝,幅23㎝,厚18㎝ 延宝8(1680) 市有形民俗 市教委/WEB/近江の道標p97 移設/草津宿街道交流館にレプリカ (正面下半部)「みぎハ たう可いどう いせミち」、(左面)「ひ多"りは 中せんたう を多加みち」/正面上半部に「(梵字)七ヶ年中履行月参詣成就所」と陰刻、そのまま下半分の道しるべの標記が続く/17世紀の道標 2
写真 亀水町の真念道標 たるみ 香川/高松市 瀬戸内海歴史資料館 石道標   1680年代?   WEB(空海の里) 移設/屋外展示 (正面)「右 一能みやみち/左 ねごろみち、願主/真念」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 勅使町の真念道標 ちょくし 香川/高松市 「丸亀街道」 石道標(花崗岩) 高72㎝,幅18㎝,厚16.5㎝ 1680年代?   歴史の道1p22・57 移設 (正面)「右 遍ん路みち、願主/真念」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存)/下記「勅使町の題目塔道標」に隣接 2
写真 出作町の真念道標 しゅっさく 香川/観音寺市 観音寺道 石道標(花崗岩) 高62㎝,幅15㎝,厚16㎝ 1680年代?   四国遍路道調査研究会1p45・57/歴史の道6(2)p4 下部埋没 (正面)「これより く王んおんじみち、願主/真念」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/左面に「施主 大坂西濱町/木屋半右衛門」と刻字→木屋半右衛門は貞享4(1687)に真念が『四国遍路道指南』を出版した時のスポンサー→彼の名が完全に刻字されている真念道標はこの1基だけ/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存)/明治期の茂平道標(145度目供養)と並ぶ 1
写真 原町の真念道標 はら 香川/観音寺市   石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の里) 原位置? (正面)「(左指差し)遍ん路みち、願主/真念」/右面「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 1
写真 粟井町の真念道標 あわい 香川/観音寺市 土仏観音庵 石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の里) 移設 (正面)「左 遍ん路みち、願主/真念」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 八幡町の真念道標 やはた 香川/観音寺市 琴弾八幡宮・参道 石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の里) 移設、集約 (正面)「左 遍ん路みち、願主/真念」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 3
写真 有明町の真念道標 ありあけ 香川/観音寺市 観音寺郷土館 石道標   1680年代?   WEB(空海の里) ケース内展示/腹部折損 (正面)「右/これより 遍ん路みち、願主/真念」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 4
写真 志度の真念道標 しど 香川/さぬき市 志度寺・南庭園 石道標 高53㎝,21㎝角 1680年代?   WEB 移設/庭園全体が荒れている (正面)「右 遍ん路みち/左 徒多みち、願主…」/(右面)「南無大師遍照金剛」、(左面」「梵字」)/「願主真念」の刻字が埋没しているが、真念道標の多くに入っている「為父母六親」の刻字があるため真念道標と推定される/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 吉原町の真念道標 よしはら 香川/善通寺市 曼荼羅寺 石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の里) 移設 (正面)「右 遍ん路みち、願主/真念」/(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 下吉田町の真念道標 しもよしだ 香川/善通寺市 石神神社 石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の里) 移設/基部露出 (正面)「右 遍ん路みち、願主/真念」/(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 大手町の真念道標 おおて 香川/丸亀市 丸亀市郷土資料館 石道標   1680年代?   WEB(空海の里) 移設/屋外展示 (正面)「右 遍ん路みち、願主/真念」/右面に梵字を陰刻/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 山本町辻の真念道標 やまもと、
つじ
香川/三豊市 (大興寺庫裡前庭) 石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の道) 移設 (正面)「左 遍ん路みち、願主/真念」/(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 阿瀬比町の真念道標 あせび 徳島/阿南市 (大根)<へんろ道> 石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の里) 下部欠損→木にバンドで結束して立ててある (正面)「右 遍ん路み…」、(右面)「(梵字)南無大師遍照」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 3
写真 市場町切幡の真念道標 いちば、
きりはた
徳島/阿波市 (切幡寺参道口)<へんろ道> 石道標   1680年代?   WEB(空海の里)/歴史の道5p137 移設/正面がC擁壁と接近し見えにくい/写真は裏面 (正面)「右 大くわんみち/左 き里者た寺のみち、願主 真念」、(裏面)「(右指差し袖付き)十一者ん」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 3
写真 櫛渕町の真念道標1 くしぶち 徳島/小松島市 (久友)<へんろ道> 石道標 高46㎝,幅15㎝,厚17㎝ 1680年代?   WEB 保存状態良好 (正面)「右 わきみち/左 遍ん路道、願主 真念」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 1
写真 櫛渕町の真念道標2 くしぶち 徳島/小松島市 (宮の内)<へんろ道> 石道標 高44㎝,幅17㎝,厚13㎝ 1680年代?   WEB/歴史の道5170 保存状態良好 (正面)「右 遍ん路みち、願主/真念」、(左面)「左、五丁ゆき 大し御さく/くわんおん あり」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 1
写真 櫛渕町の真念道標3 くしぶち 徳島/小松島市 (中田)<へんろ道> 石道標   1680年代?   WEB(空海の里) 移設→下部C埋没 (正面)「左 遍ん路…」、(右面)「(梵字)南無大師遍照」/「真念」の名前は刻字されていないが、その他の内容から真念道標であることは確定/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 3
写真 大麻町板東の真念道標 おおあさ、
ばんどう
徳島/鳴門市 <へんろ道> 石道標   1680年代?   歴史の道5p16・125/
WEB(空海の里)
移設、集約/下部欠損/横倒し (正面)「右 いど寺のみち/左 里やうぜん寺の…」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金…」/「願主 真念」の部分は欠損/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 4
写真 引野の真念道標1 ひきの 徳島/(板野)上板町 (三条)<へんろ道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高63㎝,幅17㎝,厚15.5㎝ 1680年代? 町歴史資料 町教委(続・上板町史p309-310)/歴史の道5p31・132 移設/下部C接合 (正面)「左 遍ん路みち、願主/真念」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存)/「引野の地蔵道標」と並ぶ 2
写真 引野の真念道標2 ひきの 徳島/(板野)上板町 安楽寺<へんろ道> 石道標(花崗岩) 高70㎝,幅17㎝,厚15.5㎝ 1680年代? 町歴史資料 町教委(続・上板町史p309-310) 安楽寺堂内に保管(下部1/3で折損→修復)/原位置にはレプリカを設置 (正面)「右 あんらくしみち、願主/真念」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 3
写真 大里の真念道標 おおざと 徳島/(海部)海陽町 海陽町博物館<へんろ道> 石道標   1680年代?   WEB(空海の里) 館内保管/2つの破片が残る(欠損多し) (正面)「ひだり(?) 遍ん路み…」、(右面)「(梵字)南無大師遍照」/真念の名は残っていない/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 5
写真 北河内の真念道標 きたがわうち 徳島/(海部)美波町 <土佐街道・へんろ道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高60㎝,幅19㎝,厚18㎝ 1680年代? 町有形
(民俗資料)
WEB/町教委(日和佐の文化財p13) 保存状態良好 (正面)「右 大く巳んみち 願主真念/左 やく巳う寺みち 十丁余」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 1
写真 奥河内の真念道標 おくがわうち 徳島/(海部)美波町 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱)   1680年代?   歴史の道・別冊Ⅱ
p49/
WEB(空海の里)
移設/下部欠損 (正面)「右 遍ん路…」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/「真念」の刻字だけでなく「為父母六親」も記されていないが、「(梵字)南無大師遍照金剛」があることで「真念道標」と推定/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 3
写真 阿方の真念道標 あがた 愛媛/今治市 延命寺<今治街道> 石道標 高70㎝,幅17㎝,厚14㎝ 1680年代?   歴史の道 今治街道p30/WEB 移設 (正面)「左 遍ん路みち、願主/真念」/右面に「(梵字)南無大師遍照金剛」と陰刻/17世紀の道標 2
写真 玉川町別所の真念道標 たまがわ、
べっしょ
愛媛/今治市 仙遊寺・千体地蔵横 石道標 高65㎝,幅17㎝,厚11㎝ 1680年代?   WEB 移設、集約/基部露出 (正面)「右 されいじみち 願主/左 こくぶんじみち 真念」/右面に「(梵字)南無大師遍照金剛」と陰刻/17世紀の道標 3
写真 国分の真念道標 こくぶ 愛媛/今治市 (6丁目)<今治街道> 石道標 高86㎝,幅16㎝,厚19㎝ 1680年代?   歴史の道 今治街道p51/WEB 移設(基部露出)/「左」を「右」に改刻 (正面)「右 遍ん路みち」、(同下部右)「願主」、(同左)「真念」/右面に「南無大師遍照金剛」と陰刻/17世紀の道標 2
写真 中曽根町の真念道標 なかぞね 愛媛/四国中央市 (中田井)桃山新墓地・南
<三角寺道>
石道標(尖頭角柱) 高66㎝,幅17㎝,厚16㎝ 1680年代?   歴史の道 土佐街道 笹ヶ峰越えp38/WEB 移設(C台石) (正面)「右 遍ん路みち、願主/真念」/17世紀の道標 2
写真 新宮町馬立の真念道標 しんぐう、
うまたて
愛媛/四国中央市 (市仲)下記「新宮町馬立の道標」の300m西 石道標   1680年代?   WEB(四国の古道・里山を歩く) 上部欠損/左面の字は後刻 (正面)「…みち、願主/真念 」、(左面)「…の院」/17世紀の道標 4
写真 元・宝寿寺の真念道標 ほうじゅ 愛媛/西予市 愛媛歴史博物館 石道標(尖頭角柱)   1680年代?   歴史の道3p59/WEB(四国の古道・里山を歩く) 移設(もと、西条市)/館内展示 (正面)「(右指差し)遍ん路みち」、(同最下部)「願主/真念」/右面に
「南無大師遍照金剛」と刻字
2
写真 増田の真念道標 ますだ 愛媛/(南宇和)愛南町 一本松郷土資料館
<へんろ道>
石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の里) 館内保管 (正面)「右 遍ん路み…」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/真念の標記は欠損/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 4
写真 松本の真念道標1 まつもと 高知/香美市   石道標(尖頭角柱) 高67㎝,幅15.5㎝,厚12.5㎝ 1680年代?   歴史の道・ヘンロ道p204・246 移設? (正面)「右 遍ん路みち、願主/真念」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存)/17世紀の道標 2
写真 松本の真念道標2 まつもと 高知/香美市   石道標 高47㎝,幅16㎝,厚13㎝ 1680年代?   歴史の道・ヘンロ道p204・246 移設?/上部欠損 (正面)「…路みち、願主/真念」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存)/17世紀の道標 4
写真 下ノ加江の真念道標 しものかえ 高知/土佐清水市 市ノ瀬橋・横 石道標(尖頭角柱) 高70㎝,幅19.5㎝,厚18㎝ 1680年代?   歴史の道・ヘンロ道p213 移設、集約 (正面)「右 てらやまみち 五里/左 あしすり山みち 七里」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛/願主 真念」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存)/17世紀の道標 2
  平田の道標1 ひらた 奈良/(高市)明日香村 (下平田) 石道標(駒型、花崗岩) 高95㎝,幅35㎝,厚13㎝ 天和元(1681)   村教委(飛鳥の道標p14) 原位置 (正面)「右 ざい志やう道/左 おかでらみち」/17世紀の道標 1
写真 帷子町の道標1
(金沢横町の道標)
かたびら 神奈川/
横浜市(保土ケ谷区)
<東海道・程ヶ谷宿> 石道標 高112㎝,幅34㎝,厚20.5㎝ 天和2(1682) 市登録地域有形民俗 WEB(鎌倉街道上道) 移設/C台石 (正面右上隅)「是よ里」、(正面)「か奈さわ/可満久ら、道」(=鎌倉)、
(左面)「久"めうし道」(=弘明寺)/17世紀の道標/下記3基と並ぶ(右から2番目)
2
  高見の里の地蔵道標 たかみのさと 大阪/松原市 (3丁目)稱念寺<下高野街道> 石道標 高約50㎝ 天和2(1682)   WEB/大阪の街道と道標p11 お堂に移設して祀られている/中央で折損したものを修復 (光背右)「右 はせ よしの」、(同左)「左 なら ふじいでら」/上半分に地蔵立像、地蔵の下に蓮花台を陽刻/17世紀の道標 3
写真 福住通の道標 ふくずみ 兵庫/神戸市(灘区) (7丁目)福住小学校・北東角<島田道> 石道標(自然石) 高74㎝,幅43㎝,厚37㎝
天和2(1682)   WEB(神戸の道しるべ) 保存状態良好 (正面)「まやみち」/17世紀の道標 1
写真 上滝野の道標 かみたきの 兵庫/加東市   石道標
(駒型、花崗岩)
高112㎝,幅30.0㎝,厚22.8㎝ 天和2(1682) 市有形 市教委 移設 「(梵字)、右 たんは/左 のま谷」/17世紀の道標 2
写真 中山寺の道標1 なかやまでら 兵庫/宝塚市 (2丁目)華蔵院
<中山寺参道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高89㎝,幅24㎝,厚18㎝ 天和3(1683) 市考古資料 たからづかの道標p47 2・3回移設 (正面)「右ハ きよ水/左ハ ひやうご、道」/17世紀の道標/永正14(1517)に建立された中山寺参道の町石を再利用したもの→裏面に町石時代の「(梵字)六丁」の刻字がある 2
  上久我の庚申塔道標 かみくが 栃木/鹿沼市 法長内橋・南 石道標(尖頭角柱) 高56㎝,幅24㎝ 貞享元(1684)   市教委(鹿沼の近世石造物Ⅱp104) 移設、集約/覆屋内 (右面)「みき/おざく海道」、(左面)「あわのかい道」/正面中央に「(梵字)奉造立□□庚申」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻/17世紀の道標 3
  滝野川の庚申塔道標
(岩屋弁財天道道標)
たきのがわ 東京/北区 金剛寺門前 石道標
(駒型、安山岩)
高88㎝,幅50㎝,厚26㎝ 貞享元(1684)   区・文化財研究紀要別冊10p120 移設(もと、豊島区西巣鴨)/風化がひどく刻字の判読困難 (正面中央)「…岩屋辨財天道」/正面右側に「奉□□庚申供養二世安樂…」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/17世紀の道標 3
写真 鶴見の道標1 つるみ 神奈川/横浜市(鶴見区) 1丁目)東福寺・門前
<東海道>
石道標(尖頭角柱) 高131㎝,幅28㎝,厚29.8㎝ 貞享元(1684)   道標とともにp42/横浜の古道p1 移設、集約 (正面)「(梵字)従是 子生山觀音江之道」、(右面)「これより こいけ山くハん於んへのミち」、(左面)「これより こいけ山くハんおんへの道」/17世紀の道標 2
  打戻の庚申塔道標1 うちもどり 藤沢市 宇都母知神社・鐘楼下 石道標   天和4(1684)   市教委(藤沢市の石仏p189) 移設 (右面)「東 かしを/南 一ノ宮」、(左面)「西 /北 」/正面に「青面金剛神」と陰刻/17世紀の道標 2
  紀和町和気の地蔵道標 きわ・わけ 三重/熊野市 <川端街道> 石道標(自然石) 高140㎝,幅50㎝ 貞享年間(1684-87)?   県石造物調査報告1
p133
  「右ハ やまミち/中 楊枝川板屋/左リ 川楊枝本宮」/17世紀の道標(ただし、建立期の貞享年間は伝承) 3
写真 川田土仏の題目塔道標 かわた、
つちぼとけ
京都/京都市(山科区)   石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高111㎝,18㎝角 貞享2(1685)   京都の道標p54 原位置?/中央で2ヶ所 水平に折損 (右面)「いまく満くハん於んみち」/正面に「南無大慈大悲觀世音菩薩」と陰刻/17世紀の道標(市内で2番目に古い) 2
写真 大沢の地蔵道標1 おおさわ 大阪/岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 石道標 高82㎝,幅33㎝,厚24㎝ 貞享2(1685)   近畿地方の歴史の道1p97,272 大沢の地蔵道標2と同じ木祠内/現在も信仰の対象 「左 まきの山道」/17世紀の道標 1
写真 恵原町の道標1 えばら 愛媛/松山市 <土佐街道> 石道標(自然石) 高101㎝,幅54㎝,厚20㎝ 貞享2(1685)   歴史の道 土佐街道 三坂越えp21/WEB 原位置? 「(開いた右手差し)右 遍ん路道」/“開いた手”は他に例がない/17世紀の道標 1
写真 元の道標1 もと 高知/室戸市 (岩戸) 石道標(自然石) 高160㎝,幅125㎝,厚42㎝ 貞享2(1685)   歴史の道・ヘンロ道p201 移設 (正面中央)「従是 西寺八町 女人結界」、(同最下部右)「右 寺道」、(同左)「左 なた道」/西寺は金剛頂寺の俗称で江戸時代には女性の参拝を許さなかった/17世紀の道標/真念道標と同時期であり、真念もしくは同行者の関与が想定できる(左記文献p226) 2
  谷木因の句碑道標 たにぼくいん 岐阜/大垣市 奥の細道むすびの地記念館 石道標   貞享2(1685)? 市史跡 市教委 復元(オーセンティシティは不明) 「南 いせ、くわなへ十り/さいがうみち」→道しるべが俳句になっている/松尾芭蕉が、野ざらし紀行の際に大垣の友人・谷木因(廻船問屋の主人)を訪ねた際、歓迎のため建てたと言われる 4
写真 上野田の庚申塔道標1 かみのだ 埼玉/白岡市 上野田交差点 石道標(笠付き) 高221㎝,71㎝角 貞享3(1686)   白岡の古道をゆくvol7/白岡町資料・金石2p97
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/簡易祠内 (右面)「是より ふじ海道 原市江 二里」/「ふじ海道」→富士街道→丹沢の大山阿夫利神社の夏山参りの参詣道、「原市」→3と8の付く日に市の立つ町場・原市への往還「原市道」の起点/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿、二鶏)を陽刻/17世紀の道標 2
写真 江北の地蔵道標 こうほく 東京/足立区 恵明寺・門前 石道標(駒型) 高83㎝,幅25㎝,厚21㎝ 貞享3(1686)   足立風土記・金石文2p28 移設、集約/柵内/先端が欠損 (正面像下中央)「従是西 六あミた」/正面頂部に地蔵坐像(光輪、蓮台)を浮彫り/17世紀の道標 3
写真 當麻の道標1 たいま 奈良/葛城市 近鉄 当麻寺駅・南200m 石道標(駒型) 高48㎝,幅26㎝ 貞享3(1686)   WEB(宮様の石橋) 移設 (正面中央)「是よ里 右、つ本さか/よしの/加うや道」/17世紀の道標 2
写真 根戸の道標
(布施弁天入口の道標)
ねど 千葉/柏市 <根戸参道> 石道標(尖頭角柱) 高157㎝,幅23.5
㎝,厚23.5㎝
貞享4(1687)   市教委(柏の金石文2
p145・572)
/WEB(加来_柏12)
移設/弁財天の「財」の刻字は3面ともC充填 (正面)「從是 布天 行程」、(右面)「是より 婦せ弁天 江乃みち」、(左面)「是より ふ世弁天江能みち」/緑色は異体字/17世紀の道標 2
写真 岩村の道標1 いわむら 岐阜/恵那市 (新町辻) 石道標 高88㎝,幅34㎝,厚30㎝ 貞享4(1687) 市史跡 市教委(岩村の石造物) 中央で折損し修復/重伝建の中にある “希少な17世紀の道標” なのに、解説板もなく、WEB上でも無視されている (正面)「是より左ハ 奈こや道」、(右面)「是より右ハ みたけ道」/17世紀の道標/「岩村の道標2」と並ぶ 2
写真 嵯峨鳥居本小坂町の道標 さが、とりいもと、こさか 京都/京都市(右京区) 祇王寺・門前 石道標(尖頭角柱) 高113㎝,幅21㎝,厚20㎝ 貞享4(1687)   WEB(いしぶみ) 移設 (正面・左面)「ぎ王うじ」、(正面頂部)「往/生/院」/17世紀の道標 2
写真 小浜の題目塔道標1 こはま 兵庫/宝塚市 (5丁目)
<西宮街道・小浜宿>
石道標(花崗岩) 高127㎝,幅24㎝,厚23㎝ 貞享4(1687)   たからづかの道標p25/WEB(神戸の道しるべ) 原位置?/下部C埋設 (正面最下部)「右ハ 西宮道/左ハ の道」、正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻、その下に蓮花を線刻/17世紀の道標 2
写真 上長谷の真念道標 かみながたに 高知/(幡多)三原村 江の谷・入口 石道標(尖頭角柱、花崗岩)、
洪水警告碑
高51.5㎝,幅16㎝,厚12.5㎝ 貞享4(1687) 町史跡 歴史の道・ヘンロ道p217/WE
B(空海の里)
移設、集約 (正面)「右 遍んろみち/左 大ミづのときハこのみちよし、願主/真念」/江戸初期に四国遍路道に沿って真念法師が約200基建立したとされる道標の1つ(37?基現存)/真念道標で紀年銘のあるものは1基だけ/17世紀の道標/洪水警告碑を兼ねる 2
写真 楡木町の道標 にれぎ 栃木/鹿沼市 楡木宿追分<日光壬生通> 石道標(尖頭角柱) 高114㎝,幅67㎝ 貞享5(1688)   市教委(鹿沼の近世石造物Ⅱp239) 原位置? (正面)「右 中仙道/左 江戸道」、(右面)「妙義/岩舟」/日光壬生通で一番古い道標/17世紀の道標 1
  春日町小多利の題目塔道標 かすが、
こたり
兵庫/丹波市   石道標(板碑型)   元禄元(1688)   市教委(氷上郡の道標)   (正面右)「右ハ 川合 大はらミち」、(同左)「左ハ じゅんれいみち」/正面中央に「(梵字)南無大悲觀世音菩薩」と陰刻/正面全面を蒲鉾型に削り込み文字を陰刻、最下部に蓮花を陰刻/17世紀の道標  
写真 里方の道標
(誕生寺之道道標)
さとがた 岡山/(久米)久米南町   石道標
(駒型、安山岩)
高120㎝ 貞享5(1688) 町史跡 町教委 移設? (正面)「誕生寺之道」/17世紀の道標 2
写真 宇治岳道の地蔵道標 うじたけ 三重/伊勢市 <宇治岳道> 石道標(舟型、花崗岩) 高103㎝,幅40㎝,厚19㎝ 元禄元(1688)?   伊勢市の石造遺物p92 上から3分の1の位置で水平に折損/光背の頂部が欠落/C台石 (地蔵の右)「勢度会郡朝熊道」/全面に地蔵菩薩立像(錫杖)が陽刻/17世紀の地蔵像道標は稀(ただし、「元禄」は文字摩耗で推定) 3
写真 俵田の六地蔵道標 たわらだ 千葉/君津市 <久留里道> 石道標
(笠付き六角柱)
  元禄2(1689)   金田p113-114君津16
/WEB(加来_君津33)
笠をC接合 (正面下部)「是より北は 江戸おか道なり/是より西ハ 江戸ふなみちなり」/六角の各面上部に地蔵立像を陽刻/17世紀の道標 2
写真 本羽田の道標 ほんはねだ 東京/大田区 秀明寺 石道標(尖頭角柱) 高146㎝,幅38㎝,厚25㎝ 元禄2(1689)   史誌12p81
/鎌倉みちこ
移設/文久元(1861)の刻字→再建か追刻か資料では不明(一応、追刻として扱う) (正面)「正徳太子道」、(右面)「是ヨリ 太子道 五丁」、(裏面)「正徳太子道」/17世紀の道標 2
写真 井土ケ谷上町の庚申塔道標 いどがやかみ 神奈川/横浜市(南区) 住吉神社 石道標(尖頭角柱) 高101㎝,幅28.5
㎝,厚19㎝
元禄2(1689)   南区の歴史p599,615
/道標とともにp54
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/覆屋内 (右面)「これより北 東海道 新町江之道」、(左面)「これより南 くミやうし江之道」、(裏面)「これより南 くミやうし道」/正面中央に「(梵字)奉造立庚申爲二世安樂」と陰刻、最下部に“三猿”の陽刻/17世紀の道標 2
  穂高の題目塔道標
ほたか 長野/安曇野市 (矢原)<栗尾道> 石道標(花崗岩) 高95㎝,25㎝角 元禄2(1689)   市教委 表面の摩耗が進んでいる 栗尾道の道標・丁石は、年代順、丁数順ではなく、現在の残存配置順に並べてある/(左側)「従是ひだり くりをみち」/正面に「(梵字)南無観世音菩薩」と陰刻/17世紀の道標群(十返舎一九を案内した大庄屋・藤森善兵衛の祖先が建立)の最初 2
写真 穂高柏原の題目塔道標1
ほたかかしわばら 長野/安曇野市 (久保田)<栗尾道> 石道標(花崗岩) 高84㎝,27㎝角 元禄2(1689)   市教委 表面の摩耗が進んでいる (右側)「自是みぎ くりをみち」/正面に「(梵字)南無観世音菩薩」と陰刻/17世紀の道標群(大庄屋・藤森善兵衛の祖先が建立) 2
  穂高柏原の題目塔道標2
ほたかかしわばら 長野/安曇野市 (久保田)<栗尾道> 石道標(花崗岩) 高109㎝,27㎝角 元禄2(1689)   市教委 表面の摩耗が進んでいる (右側)「自是みぎ くりをみち」/正面に「(梵字)南無観世音菩薩」と陰刻/17世紀の道標群(大庄屋・藤森善兵衛の祖先が建立) 2
  穂高柏原の題目塔道標3
ほたかかしわばら 長野/安曇野市 (塚原)<栗尾道> 石道標(花崗岩) 高106㎝,幅27㎝,厚27㎝ 元禄2(1689)   市教委 表面の摩耗が進んでいる (右側)「従是左者 くりをみち」/正面に「(梵字)南無観世音菩薩」と陰刻/17世紀の道標群(大庄屋・藤森善兵衛の祖先が建立) 2
写真 穂高柏原の題目塔道標4
ほたかかしわばら 長野/安曇野市 (塚原)<栗尾道> 石道標(花崗岩) 高102㎝,27㎝角 元禄2(1689)   市教委 表面の摩耗が進んでいる (右側)「従是左者 くりをみち」/正面に「(梵字)南無観世音菩薩」と陰刻/17世紀の道標群(大庄屋・藤森善兵衛の祖先が建立) 2
  穂高牧の題目塔道標
ほたかまき 長野/安曇野市 <栗尾道> 石道標(花崗岩) 高100㎝,幅26㎝,厚25㎝ 元禄2(1689)   市教委 表面の摩耗が進んでいる (右側)「従是きた くりをみち」/正面に「(梵字)南無観世音菩薩」と陰刻/17世紀の道標群(大庄屋・藤森善兵衛の祖先が建立)の最後 2
写真 地子町の道標 じし 三重/鈴鹿市 <伊勢街道> 石道標(尖頭角柱) 高92㎝,18.5㎝角 元禄2(1689)   WEB(北伊勢の道標) 移設→児童公園内に放置 (正面)「右 いなふ道」、(左面)「左 志ろこ道」/「いなふ道」の部分だけ四角に一段掘り下げて刻字/17世紀の道標 2
写真 神戸の道標
(元・札の辻の道標)
かんべ 三重/鈴鹿市 (観音寺)<伊勢街道> 石道標 高113㎝,幅24.5㎝,厚23.5㎝ 元禄2(1689)   WEB(北伊勢の道標) 個人邸宅内に移設 「右ニ 京ミち 有」「左 参宮かいとう」/17世紀の道標 4
写真 小山板倉町の道標 こやま、
いたくら
京都/京都市(北区)   石道標(尖頭角柱) 高83㎝,19㎝角 元禄2(1689)   WEB(管鮑之交)/WEB(いしぶみ) 移設? (正面)「右 ぎんかくぢみち」、(左面)「左 あ多ごみち」/17世紀の道標 2
  鳳南町の地蔵道標 おおとりみなみまち 大阪/堺市(西区) (2丁目)<熊野街道> 石道標(笠付角柱) 高115㎝,幅32㎝,厚32㎝ 元禄2(1689)   大阪の街道と道標p65   (右面)「さかいへいちり」、(左面)「右ハ/しのだみち/みづまみち/うしたきみち」/各面上部にそれぞれ地蔵立像を陽刻/17世紀の道標  
  糸我町中番の道標1 いとが 和歌山/有田市 (宮城) 石道標(尖頭形角柱、砂岩) 高61㎝,幅23㎝,厚23.5㎝ 元禄2(1689)   近畿地方の歴史の道3p77 下半欠損 (正面)「順礼道すくによし/左右ハ さとみち」、(右側面)「これよりなち山へ四十四り」、(左側面)「これよりきみいてらへ四り」/17世紀の道標 3
写真 押入の道標 おしいれ 岡山/津山市 <因幡道> 石道標 高117㎝,幅19㎝,厚18㎝ 元禄2(1689)   市教委/歴史の道5p22,24 蟹子川沿いから移設 (正面)「西 是より左北 のかも道」、(右面)「南 是より右 因幡道」、(左面)「北」、(裏面)「東」/17世紀の道標 2
写真 山下の道標1
(玉琳の道標)
さんげ 岡山/津山市 津山郷土博物館 石道標 高103㎝ 元禄2(1689)   市教委(出雲街道9p242) 移設(もと、玉琳三叉路)→保管庫内/上下2つに割れる (正面)「西 是より左 因幡道」/17世紀の道標 4
写真 上河内の追分道標1 かみごうち 岡山/真庭市 <出雲往来> 石道標(尖頭角柱) 高85㎝,幅18㎝ 元禄2(1689)   歴史の道4p26/出雲街道3p82 文久の道標を建て直した際に発掘/刻字が摩耗して判読困難 (正面)「東 是より左 備中みち」/森長成が往来筋に整備/17世紀の道標 3
写真 勝山の道標 かつやま 岡山/真庭市 <出雲往来> 石道標(尖頭角柱) 高約60㎝ 元禄2(1689)   吉岡速人 移設 (正面)「南 是より右 ゆ者ら」(=湯原)、他面頂部に、「東」「西」「北」の表示あり/17世紀の道標 2
写真 古町の道標 ふるまち 岡山/美作市 <因幡往来> 石道標   元禄2(1689)   市教委/
歴史の道5p10
近接移設 (正面)「北 是より左 播磨 ひらふく道」、(右面)「西 是より右 津山道」/17世紀の道標 1
写真 柿の道標(元禄道標) かき 岡山/(勝田)奈義町 <因幡道> 石道標(尖頭角柱) 高約70㎝ 元禄2(1689) 町有形民俗 吉岡速人 原位置? (正面)「西 是より右 備前道」/17世紀の道標 1
写真 高円の道標(元禄道標) こうえん 岡山/(勝田)奈義町 <因幡道・備前道> 石道標(尖頭角柱) 高約70㎝ 元禄2(1689) 町有形民俗 WEB/吉岡速人 移設? (正面)「東 是より左 備前道」/17世紀の道標 2
写真 打穴中の道標 うたの、なか 岡山/(久米)美咲町 <津山往来> 石道標(尖頭角柱)   元禄2(1689) 町石造美術 歴史の道2p28 原位置? (正面)「東 是より左 備前道」/森藩時代に立てられ、統一した規格で文字表現も揃う/17世紀の道標 1
写真 吉ヶ原の道標 きちがはら 岡山/(久米)美咲町 <倉敷往来> 石道標(花崗岩) 高95㎝,19㎝角 元禄2(1689) 町石造美術 歴史の道6p55 170m移設/保存状態良好 (正面)「東 是よ里北 くら志き道」/森藩時代に立てられ、統一した規格で文字表現も揃う/17世紀の道標 2
写真 百谷の道標(元禄の道標) ももだに 岡山/(苫田)鏡野町 <倉吉往来> 石道標 高90㎝ 元禄2(1689) 町有形民俗 町教委(鏡野町の文化財p94) 近接移設(原位置もしくは道路整備時に若干の移動)? (正面)「南 是より左 伯耆 くらよし道」/17世紀の道標 1
写真 内子の道標1 うちこ 愛媛/(喜多)内子町 内子町歴史民俗資料館・中庭<大洲街道> 石道標 高70㎝,幅24㎝,厚15㎝ 元禄2(1689)   歴史の道5p30/WEB 移設(もと、水戸森峠) (正面)「これより みき へんろミち」/17世紀の道標 2
写真 国分の道標 こくぶ 高知/南国市 国分寺<へんろ道> 石道標(自然石) 高84㎝,幅50㎝,厚43㎝ 元禄2(1689)   歴史の道・ヘンロ道p205/WEB 移設、集約 (正面)「これよりみき へんろみち」/17世紀の道標 2
写真 玉川の江の島道標 たまがわ 東京/世田谷区   石道標(尖頭角柱) 高135㎝,24㎝角 元禄2(1689)頃   鎌倉みちこ 移設/平成20頃発見→平成24に「江の島道標」と確認 (正面)「(梵字)ゑ能し満道」(=江の島)/鍼医・杉山検校が藤沢宿から江の島へ続く約4㎞の江の島道に建立したと伝えられる→12基が江の島のある藤沢市内に、1基が鎌倉市、1基が世田谷区に現存/17世紀の道標 2
写真 腰越の江の島道標 こしごえ 神奈川/鎌倉市 (2丁目)鎌倉腰越行政センター<江の島道> 石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃   湘南ふじさわウオーキング協会 移設/中央で水平に折損→修復 (正面)「(梵字)ゑ能し満道」(=江の島)/鍼医・杉山検校が藤沢宿から江の島へ続く約4㎞の江の島道に建立したと伝えられる→12基が藤沢市内に、1基が鎌倉市、1基が世田谷区に現存/17世紀の道標 2
写真 片瀬の江の島道標1 かたせ 神奈川/藤沢市 (3丁目)密蔵寺先分かれ道・角<江の島道> 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会/市教委 原位置? (正面)「(梵字)ゑ能し満道」(=江の島)/鍼医・杉山検校が藤沢宿から江の島へ続く約4㎞の江の島道に建立したと伝えられる→12基が市内に、1基が鎌倉市、1基が世田谷区に現存/17世紀の道標 1
写真 鵠沼神明の江の島道標 くげぬま、
しんめい
神奈川/藤沢市 (1丁目)法照寺
<江の島道>
石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 移設 同上 2
写真 藤沢の江の島道標 ふじさわ 神奈川/藤沢市 (2丁目)白旗神社
<江の島道>
石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 移設 同上 2
写真 元・朝日町の江の島道標 あさひ 神奈川/藤沢市 <江の島道> 石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会/市教委 遊行通りロータリー〔写真〕→市が保管中 同上 2
写真 朝日町の江の島道標1 あさひ 神奈川/藤沢市 市役所新館<江の島道> 石道標(尖頭角柱) 高121.5㎝ 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会/市教委 3度目の移設 同上 2
写真 朝日町の江の島道標2 あさひ 神奈川/藤沢市 市役所新館<江の島道> 石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 3度目の移設 同上 2
写真 片瀬の江の島道標2 かたせ 神奈川/藤沢市 (2丁目)片瀬小学校・校庭隅<江の島道> 石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 移設 同上 2
写真 片瀬の江の島道標3 かたせ 神奈川/藤沢市 (3丁目)片瀬市民センター
<江の島道>
石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 移設 同上 2
写真 片瀬の江の島道標4 かたせ 神奈川/藤沢市 (3丁目)西行もどり松
<江の島道>
石道標(尖頭角柱)   元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会/市教委 移設/下部埋設 同上、(裏面)「西行能もとり松」 2
写真 片瀬海岸の江の島道標 かたせかいがん 神奈川/藤沢市 (1丁目)洲鼻通り・なぎさ整備事務所前<江の島道> 石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 移設/頂部が斜めに欠損 同上 2
写真 江の島の江の島道標 えのしま 神奈川/藤沢市 (2丁目)江の島神社
<江の島道>
石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 移設 同上 2
写真 西富の江の島道標 にしとみ 神奈川/藤沢市 (1丁目)真徳寺
<江の島道>
石道標(尖頭角柱)   元禄2(1689)頃   湘南ふじさわウオーキング協会 移設/下部折損 同上 4